5分でわかる台湾ゲーム産業史
著者: Faust Li台湾は日本のアニメ・マンガ・ゲームなどの影響を受けているため、日本の開発者からすれば親和性のある国として認知されているかもしれません。もっとも台湾のゲーム業界は日本とまったく違う道を歩んできました。その結果、今ではオンラインゲーム一色となっています。
台湾ゲーム産業は1980 年代半ばから始まりました。当初は海外製ゲームの輸入販売が全てでした。その後80 年代後半からPC が普及し、徐々に国産タイトルの開発が始まります。もっとも台湾社会は海外文化に対して開放的な性質があり、国産ゲームだけでなく、海外ゲームも一定の支持を得ることができました。さらに絶対的な市場が小さいため、開発よりも輸入販売ほうがリスクを回避しやすかったのです(そのため今でも海外タイトルのパブリッシングは一定のシェアを保っています)。それでも国産メーカーによって歴史モノや武侠モノといった、なじみ深いテーマを扱ったゲームが数多く開発されました。その結果、90 年代後半までの約10 年間はPC ゲームの全盛期と言われていました。
日本では主流のコンソールゲームとアーケードゲームも、台湾では全く違う運命を辿っていました。コンソールゲームはコアゲーマー層に支持されていましたが、開発には技術力とコストがかかるため、メーカーには敬遠されていました。アーケードゲームは一時期、どこにでも筐体が置かれていましたが、96 年にギャンブル機の運営業者による広範囲な贈収賄事件が発覚しました。警察・記者・検事・税関までが汚職に手を染めていたことが発覚し、台湾の調査局(日本の特捜部に相当)によって200 人以上が起訴されたのです。その結果、一気にゲームセンターに対する規制が強化されました。特に学校や特定施設の周囲1 キロ圏内での設立が禁止されたことで、アーケードゲームの発展に壊滅的な打撃が与えられました。あれから15 年以上が経過し、規制もずいぶん和らぎましたが、アーケードゲームには依然としてコンテンツ審査があり、レーティングによって設置制限がなされています。
一方PC ゲームも97 年ごろからCD-R の普及でゲームコピーが氾濫し、メーカーの売り上げに影響が出始めました。そうした中で2000 年にMMORPG の『リネージュ』が韓国から上陸し、業界に革命をもたらしました。運営会社のガマニアは回線速度の不満を解消するため、ISP ライセンスを申請して社内にサーバを設置。TVCM の放映も行うなど、大きな注目を集めました。その結果、全く新しい遊びがプレイヤーを虜にして、大成功を収めたのです。他のメーカーも安定した収益と海賊版対策から一斉に方向性を変え、わずか2年でオンラインゲームの売り上げが従来のPC ゲームの売り上げを上回りました。
またネットカフェの流行も市場拡大に貢献しました。当時は56K モデムが主流で、ADSL は月額2,000 元(7,150 円†)以上と高価だったため、専用回線を引いたネットカフェがプレイに必須だったのです。PC を購入する必要もなく、1 時間で約20 ~ 40 元(71 円~ 142 円)と気軽に利用できる価格帯。そのうえゲームセンターがなくなった当時、ネットカフェはまさに青少年の絶好の社交場となり、オンラインゲームが共通の話題となったのです。
もっとも月額課金時代は長く続きませんでした。オンラインゲームのプレイヤーは課金に対して非常に敏感なため、多くのユーザーはβテスト期間だけ遊び、課金が始まると他のゲームに移行しがちでした。その結果、多くのタイトルが収益面で課題を抱えることになりました。そうした中で2005 年に『メイプルストーリー』が上陸し、約1 年でアイテム課金が主流となったのです。
最後に台湾ゲーム業界が抱えている現在の課題について紹介しましょう。まずオンラインゲームの進化に伴い会社規模が大型化し、中小企業の参入が難しくなった結果、業界全体で徐々に活気が失われつつあります。大手企業にしても収益手法が確立し、高いARPUに囚われているため、新しい挑戦を行うことに抵抗感があるのです。また海外産ゲームも依然として、かなり高いシェアを誇っています。特に中国産タイトルはテーマや文化が近いため、プレイヤーに受け入れられやすく、国産ならではの差別化が難しいのが実情です。
こうした中で昨今、モバイル向けアプリ市場の拡大でオンラインゲームの売上が縮小するという事態が起きました。大手企業が方針転換に直面する一方で、アプリ市場に挑戦する中小企業も増えつつあります。しかし、未だマネタイズについて模索段階にあり、しばらくは統合と淘汰という嵐の時期が続きそうです。