私がゲームをつくる97の理由
著者: 飯田 和敏(1)
1968 年の日本に生まれた/ 10 歳、『スペースインベーダー』と『スター・ウォーズ』をほぼ同時に体験した/
ウチにはMZ-80B とBASIC があった/弟がファミコンにイカレてたからゲームカセットがたくさんあった/祖父が画家で、父が公害の研究者だった/ フォークソングとパンクロックが好きだった、どちらもアマチュアの音楽だ/ FM 放送を聴き、名画座と古本屋とゲームセンターに通っていた/ ギターが弾けるようになり、ストーリーを考えるのが好きで、絵を描くのが得意だった/いくつかの才能に恵まれていたせいでずっと遊んでいられた/ レコード盤がCD になりビデオテープがDVD になった/バブルが弾けた/『ビックリハウス』がなくなり『宝島』が別の雑誌になった/インゴ・ギュンターのインスタレーションと『シムアース』/オレは町でいちばんの『テトリス』プレイヤーだった/『ガロ』が分裂した/油絵の具が乾くまで待っていることができなかった/何かしなくちゃ! と有象無象が蠢いていた/任天堂と電通が主催したセミナーで宮本茂さんに『ドラキュラ』ゲームの企画を見てもらった/地下鉄サリン事件/父が急逝し、最初の結婚/息子が生まれたが離婚し「家」を失った/その顛末を『ユリイカ』に書いた/言葉は玩具だからダジャレが好きだ/酒で酩酊することができず自分自身への疑問が拭えない/ 星空があり、山があり、海があり、それを眺めているオレがいる/もう睡眠薬なしでは眠れなくなった/全てが面倒に感じる時がある/ PC を起動できない日がある/ 基本的な生活能力が欠如していく/自暴自棄になる癖がある/秋葉原事件/再び、結婚し離婚し「家」を失った/憎悪している人間がいる/大病の経験はないが死を意識することはある/先を思うと不安ばかりだ/地震と津波で体験した恐怖はまだ生々しく、そして原発事故/愛している人がいる/いっしょに遊ぶ友達がいる
(2)
ゲームのプロジェクトを進めていくとさまざまな出来事があるけれど、最近、従来では考えにくい事態があった。しばらくは面食らっていたが、ようやくオレは理解した。オーケイ、なんでもありになったんだな。ルールが更新されゲームの質が変わった。それならそれで構わないぜ。いつものように気前よく餞別は渡すことにしよう。オレはジョブに成り下がったゲームから降りて、よりクダラナイ地平を目指す。そう、これはあくまでも、遊び、なんだ。シリアスな状況の風下にマトモに立ったらヤバイだろ。そこから思考を逸らし、別の可能性を考えること。ゲームクリエイターであろうとするわれわれはそれを体現していかなければいけない。フザケテいなければならない。そして持てる玩具を全て失った時が来ても、人はいつでもどこでも遊びが始められる、その力を吹聴してまわるのがオレたちのワークだ。ジョブとワークの間の広大な領域が遊びのテリトリーだとオレは考えている。
(3)
カウント再開/あるゲームを達成した時に感じられる全能感/これがヤミツキになる/作る立場に回るとその感覚はさらに増幅される/ゲームプレイヤーはみんな知っている/「World is mine」「 World is yours」/ Yo、言い残してることがあるはず/発見してない埋もれてるピース/ゲームを介してみんなの人生と交じり合ってるキーワード/言葉は玩具/この本はマインスイーパーなのかもしれないな