時代を超えた遊び、アイディアの源流
著者: おにたま私は商業的なビデオゲームが登場してから現在まで、その界隈を傍からゆるーく見続け、歴史を調べたりしてきました。
そんな中で、ゲームのアイディア、ルールを考える上で普遍的なもの、ヒントになりそうなことをいくつか書き連ねてみたいと思います。
自由なゲーム
よく「自由度の高いゲーム」と言われたりするものがあります。これは、プレイヤーの選択肢が多いというよりも、「今までできなかったことができる」ことが重要です。初期のゲームにも自由なゲームというのはありました。たとえばブロック崩し(『Breakout』1976 年)は、それまでの多くのアーケードゲームが時間制であったのに対して、「ボールを落とさなければ長く遊ぶことができる」という自由を持っていました(この後、多くのゲームで3 回ミスすればゲームオーバーというルールが定着することになります)。
今ではレトロなファミコンのゲームも、当時の尺度で考えれば、コントローラで操作できること、お金を使わず何度も遊べることが自由だったのです。ネットワークゲームも、1人で遊ぶという制約から解放された自由なゲームの形です。
既存の遊びにはなかった新しい自由さ、制約からの解放が、プレイヤーに楽しみを提供しているのだといえるでしょう。
アーケードゲームに学ぶ
ビデオゲームの歴史は、商業的には1970 年代前半から始まっていますが、それ以前から機械式のアーケードゲームは存在しており、100 年以上の歴史があります。お金を入れると人形が踊ったり、のぞき穴から映画を見るといったアトラクション的なものや、カップルの相性を計る機械(ラブテスター)、腕力や瞬発力を競うものなど、人が足を止めて興味を持ちやすい外見で、お金を入れてすぐに内容が分かるものがヒットしていきました。
この原則は今でも変わっていないと思います。自分も遊んでみたい、何が起こるのか確かめたい、といったさまざまな仕掛けが数多く考案されてきたのです。興味のある方は、ペニーアーケードの歴史を辿ってみるといいでしょう。
もう1 つ言えることとして、どの時代においても、レース(ドライブ)ゲームと射撃(ガン)ゲームは高い集客を得ています。
おもしろいこと、楽しいこと
ゲームのおもしろさ、スタイルは時代とともに変化していますが、遊ぶ側、プレイヤーの楽しみ方は変わらないと私は思っています。ここでいう「おもしろい」というのは、ゲームを始めてわかることで、ルールであったり、ときにはストーリーや、レベルデザインの巧さといった作り込んでいく要素として詰まっているものです。麻雀のルールを覚えて初めて、よくできてるなぁ…と思ったりする感じです。
「楽しい」は、上に挙げた項目にも当てはまるものですが、もっと直接的な刺激とか、陶酔といったものを求める感情に働きかける要素で、たとえば射撃したり敵を破壊する時の気持ちよさであるとか、操作そのものの楽しさであるとか、ゲームを遊び続ける動機となるものだと思います。
この「おもしろい」と「楽しい」が揃ったゲームこそが、多くの人に支持されるものだと考えています。
ゲームは能動的なもので、つまりプレイヤーは、常に楽しもうとしています。「おもしろい」ことはもちろん重要ですが、大半の人は暇つぶしにゲームをしているのであって、ゲームを研究しているわけではありません。プレイヤーの興味をいかに惹きつけるか、そして楽しみたいという欲求を満足させることができるか、そこに1 つの鍵があるように思います。
その意味では、遊びやアイディアの源流は時代を超えた長い歴史を持ったものだと言えるのではないでしょうか。