才能がない人はゲームを作ってはいけない
著者: サイトウ・アキヒロ私は現在大学で教鞭をとっており、ゲームクリエイターを目指している学生をたくさん見ています。そんなゲーム制作者を目指している人にとって「ゲームクリエイター」という肩書きは、なんともいい響きの言葉として聞こえていることでしょう。
私自身ももう30 年以上クリエイターとしてやってきました。その内容もアニメーター、CM ディレクター、雑誌編集等、多岐に及んでいます。ゲームクリエイションという点では、マックスマシーンあたりから始まって、ファミコンからMSX、PC エンジンからメガドライブ、ゲームボーイ、ニンテンドーDS、プレイステーションと、ゲーム機の進化とシンクロするようにほぼ全てのハードウェアにおいてゲームソフトをディレクションし、プロデュースしてきました。
一口に30 年といっても、数年前の技術知識や開発環境における経験が全く通用しなくなってしまうというゲーム業界で、30 年近く現役で通用するということははそう簡単なものではありません。
学生と関わる前はゲーム制作会社を経営していましたが、ゲームクリエイターを夢見て入社し、日々努力していたにもかかわらず、途中で挫折していった若者も多数見てきました。もちろん自分もいつ通用しなくなるか、常に不安と向き合ってきたことも事実です。
では私にクリエイターとしての才能があったのでしょうか。
多少はあったかも知れません。
しかしあきらかに私よりも才能があり尊敬もしていた人が、いつのまにかもの作りの現場から消えていっているのです。見渡してみると、そのほとんどの人がいなくなっているのです。
おかげさまで50 歳を過ぎた現在でもクリエイターとして必要とされて、20 代の若者と一緒に制作できていることは、ほんとうにありがたいことだと思っています。またここまで制作現場の第一線で通用してきたことを内心誇りにも思っています。
さすがにこの歳になってくると、己の中での試行錯誤はさんざん経験してきているので、「自分の才能はもっと凄いレベルにあるに違いない」だとか「私の能力に誰も気づいてくれていないからうまくいかない」などと気負うところもなくなり、「自分ができることとできないこと」や「できないことの原因は他人ではなく全て自分にある」というように、正確な自己の能力判断もできるようになってくるものです。
私にもし才能というものがあるとすれば、それは「クリエイションを継続していける能力」にあると思っています。
では「継続できる才能」とはどのような能力なのでしょうか。
一言でいえば「作ることそのものが楽しくてしょうがない」と感じられる能力です。
どんな内容でも、どんな要求でも、どんな提案でも、常に正面から前向きに受け止めて、自分なりに楽しいところを見つけて、そのワクワクに打ち込むことのできる能力です。
先にも書きましたが、ハイスピードで進化し続けるゲーム業界において、技術的経験などなんの役に立ちません。20 代も50 代も同じ土俵で戦うことが前提であり、吸収力も高く、雇用費も安い若い人材に切り替えていくのが雇用側の当たり前の現実です。
ただのあこがれやがんばりだけでは決して続けていくことはできないのです。
若くて感性の鋭い20 代から、気力能力がもっとも充実する30 代前半まではとどまれるのですが、あこがれは現実に変わり、無理がきかなくなってくる30 代中頃からはがんばりもきかずに現場から離れていくことになります。その年齢で他の仕事に再就職することは難しいですから、おのずと生活も不安定になり、将来への展望を持つことも厳しくなります。私はそんなクリエイターをたくさん見てきました。
残ることができるのは100 人に1 人もいないのが現実です。
多少の才能なんてたいしたものではありません。
私は今でも徹夜して制作作品の完成度を高めていく日々を送っていますが、決して無理をしているのではありません。それが楽しくてしょうがないのです。
クリエイターとして生きていくことで一番大切なことは、続けていけることであり、それが一番難しいことなのです。
これからゲームクリエイターを目指そうとしている方はよく考えてください。
あなたのクリエイションに幅はありますか?
ひとつのことにこだわりすぎていませんか?
少しでももの作りに飽きてきていませんか?
そしてなによりも、「ものづくりのための、『思考』『行為』そのものが『好き』ですか」
もしそうでないのなら、あなたには才能がありませんので、いますぐに他の道を探るべきです。
私はいつも学生に対して、真剣にそう問いかけています。