勝ったら実力、負けても運
著者: 前田 靖幸代々木公園で特撮ヒーローものの収録をしている現場を、たまたま近くを通った小学生が「子供騙し」と風刺していたことを強烈に記憶している。子供に「子供騙し」といわれる。他ならぬ子供たちのため一心に取り組んでいるスタッフには残酷だ。身近な大人から聞いた言葉が反射的に出たのかもしれないが、その小学生なりに見たままを突いたのだ、仕方がない。
タミヤの企画部デザイン室にいた当時、玩具メーカーと同じ土俵で商品展開をする中で、いち模型メーカーとしてキッズマーケットにしっかりアプローチして固有のブランドイメージを浸透させたいと、あぐねていた頃だった。子供は子供然と扱われることを嫌う。大人と一様に扱われたくて、ままならない過程で腐心する。そんな彼らの当時者目線に立てば、大人があてがった「オモチャ」「子供騙し」「拙い」ではなく、「ホンモノ」「大人騙し(大人もビックリ)」「巧妙」を選ぶ理由が見えてくる。
エンターテインメントコンテンツに「初心者向け」とか「○○向け」などと初めからセグメントを設けても、当の初心者や○○な人が嬉々として受け容れるかは疑問だ。にわか親切にも見えるが、自分がそんな体であることを認めたい人ばかりではない。マーケティング施策的には我慢どころになるが、コンテンツの初期の射程は、ある程度拡く打ち出して浅く構えておくほうがよいと考える。RC カーもミニ四駆もキッズマーケットを勘案したものではなかった。やがて特定の媒体を通して解ってくるユーザーの反応をトピックにして示していくことで、社内のそれへの対応も整っていった。
ただし、品質以外の部分においては僕はユーザーの反応に逐一迎合しなかった。後手に回ったメーカーの展開ほど恥ずかしいものはないし、何より、ファミコンブームも、チョロQ ブームも、ユーザーを月次単位で上の着地点に引っ張り上げていくことでムーブメントを起こしていたからだ。だから、ミニ四駆の改造例やグレードアップパーツの開発は、ユーザーの想像を凌ぐ提案を旨とした。
ミニ四駆イベントの参加者は勝負をしにきている。その高い意識にきちんと応えるために、RC カーの公式競技と同様の車検から始まるレースレギュレーションで厳格なスタンスをとった。そのせいか、イベントには参加者の親が本腰で加担したマシンも出てきたが極端なもの以外それら全てを締め出すこともできなかった。いつしか我々は親まで巻き込んだ相手に真剣勝負をしていた。「大人騙し」も通用するかどうか不安で、手強かった。
一方で、イベントには敗者もある。負けたことは本人がいちばん自覚できているのに、それ以上負けを決定づけなくてもよい。そのあたりの当事者意識も無視できない。イベント会場で留意していたことの1 つに、「勝ったら実力、負けても運(ちょっとしたセットミス)」という雰囲気が伝わるよう運営作法を徹底していた。
CGM、UGC、ソーシャルゲーム環境が一般に波及して、コンテンツホルダーはかつてのようなリアルな全国イベントを催さなくても、ユーザーの参加欲や名誉欲などを横断的に充たすことができている。また、いわゆる売りっ放しではなくユーザーと共に育てていけるような息の長い理想的なコンテンツ展開も自在だ。サービス運営の在り方が極めて枢要になってきたことはもとより、ゲームタイトルの差別化も容易ではない今、ユーザーを1つ上のレイヤーに牽引できているものとそうでないものとの違いは何だろうか。思いやりとか迎合なんてものではない。そこに参加している当事者の意識を常々解析している人には見えてくるものがあると思う。