ゲーム自主制作の課題と解決策

ゲーム、マンガ、音楽などのコンテンツを作り続けるための選択肢には、主に次の2 つがあります。1 つはコンテンツ制作会社に入社したり、自ら起業したりしてコンテンツを作り続ける道。もう1 つは、趣味としてコンテンツを作り続ける道です。

日本では、マンガや音楽については、制作物の売上で生計を立てる「プロ」にならず、別の仕事で生計を立てながら、作品を作り続ける慣習が趣味として一般化しています。他方、コンピュータゲーム(以下、ゲーム)については、1970 ~ 90 年代に、雑誌に掲載されたプログラムを打ち込んで楽しむような自主制作者の層が厚く存在しました。

こうした層が現在日本では消滅してしまった、という意見もありますが、正確ではありません。『東方Project』『ひぐらしのなく頃に』『Ib』『青鬼』に代表される、多くのユーザーに遊ばれる優れたゲームが現在も作られ続けています。

ゲーム制作者の実数も、他ジャンルの制作者に比べてそれほど少なくありません。インターネット調査によれば、各コンテンツの制作経験の比率は、マンガ14.2%、小説23.0%、ゲーム13.2%、映像13.8%でした(小山友介,『コンテンツ/ゲーム制作活動に関するアンケート』,2008-2009 年)。日本に住む人の約1 割にゲーム制作経験があり、マンガや映像と比べてもその比率は小さくないことがわかります。潜在的ゲーム自主制作者は、現在でもそれなりに大きいのです。

しかし、一方で次のことも示されています。まず、継続的にゲームを制作し続ける人は少ない。現在も定期的に制作している人の割合は、マンガ2.6%、小説4.7%、ゲーム1.3%、映像2.3%。過去にゲームを制作していたが現在はやめているという人が多いということです。次に、作品を発表する人も多くない。制作物を発表していない人が4 割、家族・友人のみに見せた人が4 割いる一方で、不特定多数の人に見られる場(即売会やコンクールなど)に発表する人は1 割しかいません。

ゲームの自主制作を続ける人や作品を発表する人が少ないという現象の背景には、制作の動機づけの不足があります。自主制作の動機づけは、金銭というより、制作自体の楽しさ、交流、評価ですが、マンガ、音楽の制作と比べた場合、ゲーム制作でこうした報酬を得ることは難しいことが拙調査から明らかになりました。

原因は主に2 つあります。第一に、制作に人数と時間がかかるため、制作物が完成しづらいこと。ゲームを作るためには、CG、シナリオ、音楽、プログラムという個々の素材を複数人で制作しなければなりません。また、集団制作を管理できる能力も必要です。これらが意味するのは、ゲームを完成させることは、マンガや音楽に比べ難しいということです。個々の素材を揃えたり、人をまとめたりすることが難しいため、ゲームの9 割が完成しない、という声もあります。また制作の楽しさを感じられず、制作をやめてしまう人が多いのです。

第二に、交流と評価の機会が少ないこと。マンガや音楽は年4 ~ 6 本を発表できるため、交流・評価の機会が多くなります。これに対し、ゲームはこの機会が少ない。そもそも作品が完成できなければ交流や評価の機会はありませんが、完成できても、制作に1 年程度かかるため、交流や評価の機会が少なくなります。また、ゲーム系即売会・発表会は、日本ではほぼ開催されていません。つまり、制作者間、制作者・ユーザー間の交流や、評価を得る機会が少ないということです。

制作の喜び、交流、評価といった報酬を得ることが難しいことが、ゲーム自主制作の持続を難しくしています。ただし裏返せば、これらを得る機会が増えれば、自主制作を持続的に行う層が増える、ということでもあります。そこで、自主制作の場の拡大のためには、次の方策の実行が有効であると考えられます。

1 つは、集団制作時の意思決定やコミュニケーションの方法や、制作→発表のサイクルを短くするマネージメント方法を共有して、完成の喜びを体験できる確率を高めること。具体的には、勉強会の開催が考えられます。2 つ目は、交流や評価が得られる場を用意すること。即売会や発表会の開催が解決策となります。

自主制作の場は、多様な職業・経験と、独創的発想を持つ人々が、実験作の制作に取り組める場です。欧米のゲーム産業は、自主制作の場とつながってこれを支援し、新しい発想や人材を取り入れ続けることで、類似作の増加でユーザーに飽きられるリスクを下げてきました。新しい発想やイノベーションが生まれる自主制作の場の課題を理解し支援していくことは、日本のゲームの今後の発展のためにも重要であると考えられます。