クリエイターはアスリートたれ
著者: 小高 和剛僕はゲームが大好きです。
ゲームで遊ぶのも、作るのも、大好きです。
ゲームというメディアに可能性を感じているし、ゲームからしか得られない感動の力を信じています。
だからこそ、強く思います。
ゲーム作りの才能がある人間だけが、ゲームを作るべきだと。
おもしろいゲームばかりになればユーザーとして嬉しいし、何より業界の活性化につながります。ゲームのライバルは他のあらゆるエンターテインメントです。ユーザー1 人1人の限られた時間の奪い合い……そこに勝つためにも、自分のいる業界に盛り上がってもらいたいし、だからこそ、ゲーム業界には「才能の集まる場」になってもらいたいのです。
ですが、ここで言う“ 才能” は、必ずしも“ 生まれ付いての素質” だけではありません。
もちろん素質も必要ですが、むしろ日々の鍛錬によって磨かれていくモノといった意味合いのほうが強いです。
その姿勢こそが、才能を生むのだと僕は思っています。
たとえば、僕はクリエイターの理想形はアスリートだと思っています。
アスリートは「結果が全て」というシビアな世界で、少ないチャンスをものにするために鍛錬し続け、その中で勝った者だけが続けられる職業です。
実は、それはクリエイターも一緒です。
「発想力」や「技術」は、筋トレと同じように負荷を掛けないと力はつかないし、より強いプレッシャー、よりハードルの高い仕事をこなさなくては、実力は伸びません。
常に120%の力を出し続け、鍛えた才能でさらなる高みを目指す……それはクリエイターもアスリートも同じなのではないでしょうか。
だからこそ、僕はアスリートたちの姿勢に感動するのです。
きっと、多くの人が一流アスリートたちのドキュメンタリーを見たことがあると思いますが、彼らは生活の全てを競技中心に考え、常に体と精神力を鍛え続けています。
そこに、クリエイターとしての自分を重ね合わせてみてください。
彼らほど全てを賭けられていますか? 自分をそこまで追い込んでいますか?
正直、僕にはまだできていません。と同時に、やらなければと駆り立てられます。
だって、彼らはそれをしているからこそ人々を感動させられるのだから。
僕も、彼らのように、自分の才能で大勢の人を感動させたい。
だからこそ、もっともっと鍛錬をしなければと強く思います。(ちなみに、クリエイターにおける『鍛錬』の意味は各々で考えてください。ただし、間違った筋トレは筋肉を痛めるだけなのでご注意を)
ただし、中には必ずしもスポットライトを浴びない才能というのも存在します。
企画力やシナリオや音楽や絵だけではなく、チームワークでも、人の力を発揮させることでも、あるいは単純作業の中にも才能を見出すことはできます。
自分の長所を見極め、武器になるまで研ぎ澄ませば、それは立派な才能になるのです。
それがあれば、戦えます。
結局、大事なのは「クリエイティブは戦いなんだ」という意識なのでしょう。
僕はそういう意識を持っている人間はゲーム業界に集まってほしいし、そうでない人間には去ってほしい……それが率直な考えです。
僕自身も、その意識を持ち続けている限りはこの業界でクリエイティブに邁進していきたいし、それがなくなったときは去ります。それがないとシンドイだけだし。
最後に、僕が好きなタモリの言葉を引用したいと思います。「自分の中で『これくらいの力がついたらこれくらいの仕事をしよう』と思ってもその仕事は来ない。必ず実力よりも高めの仕事が来る。それはチャンスだから、絶対怯んじゃダメ」
その千載一遇のチャンスをモノにするために……
そのときに自分の才能を信じられるように……
僕らは日々、鍛錬し続けるしかありません。
さながら、アスリートのように。