インディーゲーム開発者との会話
著者: 大坂 裕子つい最近、日本のゲームデザイナーに質問された。アメリカでは何でインディーがこんなに盛んなんでしょうかねぇ? と。時を同じくして、友人と2 人でゲーム会社を起業したゲーム開発者、ロビン・ハニキーと話をした。彼女は起業前、新しいスタイルのゲームとして注目を浴びた『風ノ旅ビト』のエグゼクティブ・プロデューサーだった。
『REZ』や『The Sentinel』に代表される、アートのアプローチをゲーム開発に取り入れた作品は80 年代から存在している。『風ノ旅ビト』をプレイした人だったらご存じのとおり、同作もビデオゲーム+アートとして認識されている作品である。これにはゲーム遊びのおもしろさにアート(芸術)的な要素を取り入れたら、ゲームがビジネスとしても魅力あるものとなり、多くの投資がなされるようになってきたという背景がある。また、ゲーム開発テクノロジーの発展・進化のおかげで、ゲーム開発者の作業が軽減され、「心(ハート)」「意識」「感情」などを表現する媒体としてゲームを開発できるようになってきたこともある。ついにゲームという媒体にも、絵画、小説、映画などと同じように、芸術作品の仲間入りができる時代が到来しつつある。
ゲームが芸術作品であるかどうかの判断基準は何なのか? 彼女にとってそれはゲーム作品とそれをプレイする個々人との「かかわり」にあるらしい。単に見た目がきれいだとか、プレイしていてうれしい、怖い、悲しいなどの感情を表現するための媒体にとどまらず、ゲームがプレイヤーの生き方を変える媒体として存在しているか、という問いがとても大事だと話していた。プレイヤーのものの見方が変わったか、物事との対面の仕方が変わったかなど、新たな自分を見出すチャンスを与えてくれたゲーム作品は、アートといっていいのではないか、と。
では、生き方を変えるようなゲームを開発するにはどうしたらよいのか? 彼女曰く「開発者が自分の内面と向き合い、自分を深く見つめて理解し、自分自身と共感すること。自分自身のアイデアや望み、あるいは畏怖などを見つめ、それらに正直であれば、作品を通してシェアできるのでは」という。画家のゴッホ。彼は初期の作品で貧困生活の苦しさや恐怖感をキャンバスに表現し、多くの人とシェアした。逆にもし自分とちゃんと向き合っていなければ、それを表現するのはむずかしかっただろう。
『風ノ旅ビト』は人それぞれが、他の人々とのコネクションを探求することをテーマにしたもので、破壊をテーマにしたゲームとは違う。人と人との「かかわり」は、今の人類に与えられた挑戦でもある。昨今、より多くの人たちが、グローバル社会の一員として共感を持ち、愛や思いやりを行動や活動に生かしている。我々の信じること、表現や行動が他の人々や他の文化そして地球全体へ与える影響を、実際に見てみることができる時代だ。我々が生き残ることができたとしたならば、それは全ての媒体を利用して、人々が理解を深め、多くの架け橋を作り、抱えている問題をクリエイティブに、そして平和に解決できた結果だと言える。ゲームはその1 つであり、重要な解決方法を提案できる媒体でもある。
今、なぜアメリカではインディーが盛んなのか? 自分と向き合い、まわりの人々とのかかわりを大事にしながら、少しでも世界をより良いところへと変えたいと思ったとき、ゲームを媒体にしたらとっても素敵なことができそうだと思う人が増えてきたからだと思う。ロビンもそんな素敵なことをやろうとしている、キラキラ光っているゲーム開発者の1 人であり、そういう友人が世界中でもっともっと増えていくと私は信じている。