アートなコラボとしてのピンボールゲーム
著者: ノジマ F. レイコ私は美大でエディトリアルデザインを専攻し、卒業後は主にコンピュータグラフィック関連のデザイナーをしていました。ゲームアーティストを志望したことはなく、特にゲームグラフィックスの作り方を勉強したことはありません。むしろマニュアルやパッケージ、ポスターなどDTP が専門分野でした。
ゆえに1990 年のある日、藤田から「自分がMacII で作ったピンボールゲームに絵をつけてほしい」と言われて、シンプルな線で約物の位置を示しただけのTRISTAN の盤面にカラフルな迷路庭園を描いたときには、その後20 年以上にもわたってデジタルピンボールを作り続けることになるとは思ってもみないことでした。
リトルウイングのピンボールは、外注した音楽を除いてその全てを藤田と2 人で作っています。まずはピンボール台のテーマとコンセプトとストーリーのあらすじをテキストの形で藤田が作成、私が自分の興味の範囲にその素材を取り込んでボディーを与え、ストーリー、コンテやラフスケッチを作成します。それを藤田に戻し、彼がゲームのデザインに合うようにそれらのエレメントを変形させ、私に戻します。最終的にゲームのグラフィックができあがるまでこのやりとりが続きます。
藤田に「依頼」されたグラフィックを作るにあたって、彼はビジュアルアーティストではありませんから、漠然としたイメージはあっても、自分が何を依頼したいのかその時点で具体的にはわかっていないのです。また、デザインされた1 つの世界を限られたスペースと約物の形の中で表現しなければならないというピンボールゲーム特有の制約の中で、見やすく、美しく、ピンボールらしく楽しげでいつまでも見飽きないグラフィックを作るというのは思った以上に困難な作業です。何度もスケッチを書いては藤田と話し合い、合意に至れば作業を進めますが、彼が気に入らなければ描き直す。相手の頭の中を覗き込んで中にあるイメージを引き出し、視覚化する作業。例えて言うならばイタコの口寄せに近いものがあり、グラフィック自体には私の好みというものは実はそれほど入っていません。それゆえ12 タイトルの作品のビジュアルは、それぞれ全く毛色が違っていて全部1 人で作ったようには見えないかもしれません。
私の興味はむしろ「電気仕掛けの箱庭」としてのピンボールにあり、ピンボールというたった1 つの盤面に実に多くの要素̶̶1 本の映画になるほどの物語̶̶を詰め込んで1つの世界を作り上げることにあります。ミニチュアの街や人や怪物をきらきら光る箱庭に並べてストーリーを語る作業は、とても興味深いものです。その作業、具体的には多層構造になったグラフィックスで複雑なストーリーを表現することには実に多くの時間と労力がかかります。
ゲームデザイナーの物語を理解し、発展させてそれをイメージで語るだけのインテリジェンスも必要です。またその上でゲームのルールが容易に理解出来るように膨大な量のデザインエレメント̶̶静止画と動画̶̶をすっきりと1 枚のスクリーンにレイアウトしなくてはなりません。ただ「きれい」なゲームスクリーンとは手間のかかり方がまるで違うのです。絵を1 枚作るだけの楽な仕事、と思われることももしかしたらあるかもしれませんが、実はその1 枚の制作に1 年ほどかけています。ピンボールのグラフィックスは、「絵が描ければできる」という仕事ではありません。
開発の最後の段階で、それぞれのゲームルールのために多いときには数百のサウンドエフェクトと数曲のBGM をデザインしてゲームに組み込みます。プレイヤーがまばゆい箱庭の世界に入り込んで色とりどりのライトを1 つずつ点灯しながら彼自身の物語を構築し、賑やかなファンファーレを鳴らすとき、初めてゲームが完成するのです。ピンボールはプレイヤーとのコラボレーション、インタラクティブアートなのです。