いまゲーム制作現場で起きていること
著者: 土屋 昇平今ゲームの現場はあまりにもたくさんの問題に直面している。どれか1 つに問題があるのではなく、複数の問題が一気に押し寄せている。泣き言を書きたいわけではない。現状を冷静に見つめるためにいくつか例を書いてみようと思う。
制作物の規模とファンの規模が不均衡な事例が多い。ファンのほうが流動性は高い。制作者は簡単に移れない。それが企業であればなおさらだ。なので80 年代、90 年代に膨れ上がった企業が、強制的に500 万人に愛されるゲームを作らねばならないなんて事例もよくある。これはあまりにハードルが高い。500 万人の落とし所を探せば探すほど鋭利なところはなくなり、丸くなる。これからは少人数のゲーム制作を模索し、企業体をとるにしても数人から十数人で、売れても無駄に人を増やさないのが肝な気がしている。
また少人数制作であれば、ニッチなゲームやチャレンジブルなゲームも存在できる可能性が高まる。多様性のない世界ほどつまらないものはないと思っているので、ゲーム制作は少数精鋭に動いていくことを望んでいる。
大体ゲーム制作における予算というのは広告宣伝を除けば、ほぼ人件費と言って差し支えない。予算がないとは、つまるところ人数をかけた長期間の開発ができないということだ。ゲームの規模が大きくなればなるほど、大人数で長期間の制作となる。これは未だにマンパワーに頼った制作、運用方法しか現実的に存在していないことを意味する。先述の規模感の不均衡もそうだけれども、この開発規模が強制的に大きめになってしまうことが、とても足かせになっている。例えば5 人1 ヶ月で大作が作れるくらいに制作技術が進歩すれば、かなり多様なゲームが生まれると思う。またオンラインゲームの運用も基本自動で最適化されるようになるのも必要だ。
まずこの2 つの状況でチャレンジブルなゲームが産まれづらくなっていると思う。誤解しないでいただきたいのは、リッチだったりマスなゲームが良いと言っているわけではないし、カジュアルだったりニッチなゲームが良いと言ってるわけでもない。何度も書くが多様性の失われた世界は、それはそれはつまらない世界になると思うのだ。
音楽では昨今パーソナライズシステムの開発に躍起になっている。あなたの好きな音楽を自動で判断しリストアップしてお届けしますというものだ。ニュースサービス等ではすでに実用化され、さまざまな人がその恩恵にあずかっていることと思う。
これはゲームにもすでに必要な状態だ。ハードや国等の制限から解き放たれつつあるゲームは、もうすでに内容、メジャー、マイナー関係なく同じ商品棚に並んでいる。膨大なゲームの数から自分が好きそうなゲームを探すのは困難だ。
ゲームメディアも多々あるが、これだけ日々生み出されるゲームを全て追うのは不可能に近い。自動ゲーム紹介サービスとメディアの複合で、自分が好きそうなゲームや、新たにチャレンジしてみたいゲームへの出会いをもっと簡単にしないと、知名度だけがモノを言う世界になり、これもまた多様性を失う要因となってしまいかねない。ゲームは嗜好的な意味合いが強いので、皆がやってるゲームだから自分も楽しめるというのは中々稀だ。単純に自分が楽しめるか楽しめないかに尽きる。なのでランキングやメタスコアが自分の嗜好と合っていればよいが、そうでない場合ちっとも好みのゲームに出会えなくなる。
いろいろ書き散らしたが、要は多様性の担保が難しくなってきている状況が今のゲーム業界のように思う。これをたくさんの人の英知と情熱で乗り越えることが、今後コンピュータゲームが楽しく素敵なもので在り続けるかどうかの鍵となるに違いない。